未題

短編より短い短編小説

幸せの準備

 長らく囚われていた不幸思想からようやく脱却できるかもしれない、光をみて、つぎの瞬間には引き戻される現実に、いつでも絶望の色をみていた。
 とどのつまり思い込みだ、おもいはするけれど、理解と実践の間には深い深い谷底がある、それが難題だ。と起き抜け、ぼーっとする頭で夢と現を擦り合わせた。

 もし君が現実にいるとして、彼は言う。

 「ぼくらがいまいるこのロフトの床が歪んで下に落ちる、その可能性はゼロじゃない。」
 そうおもう、わたしは答える。

 たとえば幽体離脱とか、彼が言うので、できるのとわたしがきくと、そりゃあね、と彼は答える。

 二元論的考えがすきじゃない。
 彼は世界の裏側をみるに長けていた。光の世界を知らなかった。ほんとうに不幸なひとは、自分が不幸であることを知らないものだ。彼は危険物扱いで育てられてしまったので、愛情を知らないのは仕方ないことなのだとおもう。
 それでも裏をかえしては、いつでも薄暗い現実を知るにひとは、ひとにやさしくなれるだろう。たとえ一見の悪であっても、本質に近づけば近づくほど。ただし、両面からみるふたりの自分の存在をよくよく意識しなければならない。

 「切り離すと他者を殺したくなる。交わると自分を殺したくなる。ぼくは君を殺したい。」
 「殺していいよ。」
 「ぼくは君の才能がこわい。」
 「あなたにも才能はあるよ。」
 「ぼくにはない。」
 「みんなにあるよ。」

 何度殺されかけてもとどめを刺さないのは、彼の葛藤に良心があったから。それでもわたしは彼の苦しみから突き放された哀しみを背負って、これからも生きていかなければならない。

 「ありがとう。」
 「どうして。」
 「もうすぐちゃんとさよならできるよ。」

 彼は泣いていないだろうか。ちゃんとごはんはたべているかな。強がって、さびしくないと嘘ついてまた、ひとりなってはいないかな。あたりまえの、平凡な愛を、もっと伝えられればよかった。もっと素直になれればよかった。気づけなくって、ごめんね。

 「もうすこし会うのが遅かったらなあ。」

 だれもいない自室のベッドでわたしはぽつり呟くと、なりたい自分の実像にちょっぴり近づける予感がした。彼とはもう二度と会えないけれど、その哀しみを肥やしにして、これからはべつのだれかに、なんてことない幸せを分けていければ良いとおもう。