未題

短編より短い短編小説

自然的療養、或いは遊戯。

 さびしくて泣いている。拒絶された苦しみというより、とてもやんわり、線を引かれたことに泣いている。仕方ないとわかっている。それでも、自らの素直さにより断ってしまった道を憂いている。それは仕方のないことだよ、あれもこれもは取れないんだよ。やさしいひとほど、返せない愛は受け取らないものだよ。拒絶というわけじゃない。
 ただ、浮遊した愛をさびしく眺めている。

 夜中、幾度となく目覚めるときわたしは、世界との隔絶を確認する。切り離された自分自身を遠巻きにみながら、現状そう長くはつづけられないとおもう。はやく土台を固め、人生における居場所を確保しなければならない。危機というより、むしろあきために似た感情を抱く。自己を変容させ、この破滅思考をなんとかしなければ今度こそ生き残れない。

 「箱庭療法は順調だ。」
 言うと、彼女はそう、良い傾向ね、と言った。

 わたしはいまとても心地よい庭に放たれた一匹の羊だと認識している。

 「どの草をたべてもいいよ。」
 彼らが言うので、わたしはその好意を受け取って日々おいしい草をたべさせてもらっている。もちろん、たまには苦いのもある。けれど死にはしない。柵は設けられているが、特段不自由も感じない。むしろ柵のない世界は危険だから、ちょうどよい。
 このまま飼い殺されることを羊はよしとしていないが、かといって柵を飛び越えようとはおもっていない。砂漠に放たれれば羊は生きるに厳しい。或いは、砂漠でなど生き残る必要がそもそもないかもしれない。飢餓はひとの潜在能力をたしかに引き出すが、命の前借りをも伴う。
 順当にいくならば、このまま柵の領域をすこしずつ押し広げることだろうか。そう、場合によっては今後この柵を毛嫌い、自由を求め遁走する者があったとして、わたしは引きとめない。或いは、いつまでも柵にばかり囚われ不自由を嘆く者を、わたしは宥めない。

 とにかく、羊にとりこんなにすばらしい環境はそうないだろう、感じているだけだ。羊は羊らしく生きればよい。羊は羊以上にも、以下にもなれない。これこそ自由だと、ようやく理解できたのだ。

 「ずいぶんと時間がかかったね。」

 鈍足なもので、とわたしが言うと、さすが羊ね、と彼女は笑った。

 「そして羊さんは今後どうするんですか。」
 「最強の羊になるだろうね。」

 真顔で言うと、彼女は今度こそ声をあげて笑った。