未題

短編より短い短編小説

無垢な狂気

 いつもどおり帰った自宅で、いつもどおりでない出来事が起こった。ドアを開けた瞬間蠢く人影に戦慄する。まさか、とおもう。まさか。ここまでやるなんて。人影は玄関の物音に気づき振り返ると茫然と立ち尽くすわたしをみるなりにっこり、微笑んだ。

 「おかえりなさい。」

 ただいま、とは言わなかった。

 「どうしてここまでするんですか。」

 代わりに問う。

 「どうして?」

 相手は呟くと、先ほどまでがさごそ漁っていただろうわたしの下着をくるくると指先でまわしながら、あたりまえのことでしょう、と言った。現状のどこがあたりまえなのかわたしにはまったくわからないけれど、彼女にとりそれがあたりまえだということはよくわかった。

 困惑しながらも、震える声でわたしは言った。

 「たしかに、わたしにも非はあります。あなたの瞳の奥にあるさびしさに一瞬でもかかわってしまったから。けれどもう断ち切ったはずです。わたしには、あなたは助けられない。」

 断言するに反して、彼女はけたけたと笑いはじめた。

 「あなた、なんにもわかってないのね。」

 そして余裕たっぷりに言う。途端、胃液が逆流するのを感じわたしはうっ、と口元を手でおさえた。げほげほ、咳するわたしを尻目に彼女は笑みを深くする。わたしはなんとか、紡ぐ。

 「なにがですか。第一、わたしはあなたのことをあれ以来何度も無視しています。意思表示はしているはずです。」

 正攻法ではどうにもならないとわかっていながら、それでも最後だ、とわたしはおもった。ここまで踏み込んでこられてはどうにもならない。突き放すよりほかない。けれど、彼女はやはり表情ひとつ変えず、まるで朝日をたっぷり浴びたバルコニーで優雅なティータイムをすごすよう言った。

 「わたしね、だれにでも別け隔てなく接するあなたのことがだいすきなの。」

 彼女の瞳はたしかに澄んでいた。

 「そして、だれにでも別け隔てなく接するあなたが、唯一別け隔てなく接することのできない存在、それがわたしなのよ。ねえ、これがなにを意味するかわかる?」

 がくがくと震えた足、ぞくりと走った悪寒、おもわず後ずさりする視界の端に、きらりと光る銀がみえた。

 「愛よ。」

 わたしは意識を手放した。