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未題

短編より短い短編小説

ゆりかご

 「もし、申し訳ないですが急用につき家をあけます。お立ち会いお願いいたします。」

 オーナーはふたつ返事で了承すると自転車の鍵を貸してくれた。きのうはコインランドリーの鍵を借りたばかりだった。オーナーとはいえ、果たしてあまりに不用心ではないかと勘ぐるきもちもなくはなかったが、いまのわたしに盗られて困るものなど見当たらなかった。

 「ありがとうございました。」

 お礼を言うおんなじタイミングで家を出ると、目の前をなにやら警察の一団がとおった。殺人か、或いは窃盗か、わからない。同階のいちばん奥の部屋でおそらく不穏な事件が起こったらしいが、そんなことより目先の図書館のほうが大切だった。
 がっかりさせたくなかった、毎分毎秒を認めてほしい。そんなこどもじみた欲求から焦っているのはわかっていた。どちらかといえば、ひとりでいるほうがよほど苦しかった。みえないなにかに試されている心地がした。

 わたしはパジャマのまんま階段を駆けおりると、みなれない地下駐輪場であてがわれた自転車をさがした。ピンクのそれを発見し慌てて鍵を突っ込むも、つかい勝手がわからず代わり、そばにある自転車2台をひっくりかえした。

 ちょっぴりやるせなくなった。けれど時間はすすんでいた。

 わたしは気を取り直して自転車を漕ぎ出すと、全速力で街を駆け抜けた。勝手が良い。ぐんぐんすすむ速度にきのうまでの不便をおもう。

 「結局のところ、わたしはきらわれるのがこわい。」

 対面するスマホ越しに語ると、そうだね、と弟は言った。

 「自分の言動が相手にとってどんな災いをもたらすかいつも考えている。」

 弟は哀しそうに眉尻を下げると、そんなことないよ、と言った。

 「知らないうちにたくさんのひとを傷つけてきた。」

 弟は黙った。

 「結局この家を選んだのも、いつでも逃げられるようにするためだよ。家具家電すべて揃っていて、まるでホテルに住んでいるみたいだもの。わたしは相手に拒絶されたとき、いついかなるときも傷つかず、或いは傷から目を逸らすためついには家まで捨ててしまった。」

 弟はなにも語らなかった。

 「ものがあるのがこわいんだ。なにかが根づくのがこわい。幸せに浸った瞬間、裏切られるのがこわい。だって自分の狂気に自分がいちばん怯えているの。」

 弟はそっか、と頷くとおねえちゃん、でもぼくはすきだよ、と言った。