未題

短編より短い短編小説

片道バス

 改札で手を振ったのは1度だけ。振り返らなかった。ぱんぱんに詰め込んだキャリーバッグをごろごろ押しながら迷わずエレベーターに乗り込む。予定どおりの電車に乗った。
 夜中の23:30から旅をはじめるのも珍しい。車内は酔ったサラリーマン、停車するたび交わされる「お疲れさまでした」の声に1日のおわりを感じる。

 反してわたしにはちっともお別れの雰囲気がなかった、欠片もなかった。もしかしたらこれで最後かもしれない。そんなことは考えないようにした。未来はいつでも不確定なんだから、自分にそう言い聞かせた。
 時間が迫ってくる、センチメンタルに浸るひまはない。怒涛にめぐりめく日々のなか、こころはとっくに追いつかなくなった。ついでにからだも追いつかなくなった。
 軋む右膝を感じながら、それでもわたしは電車に乗った。できるとか、できないとか、もう関係なかった。やるしかない、そうおもったのはひさしぶりのことだった。

 駅に着くとキャリーバッグを引きずって歩いた。バス停まではもうすぐだ。そういえば昔いったことのあるマクドナルドの角を曲がり、びゅんびゅんと車の走る大通りと聳え立つビル群をごろごろ通りすぎた。

 バス停に着いたときには24時をまわっていた。受付で名前をきかれ案内された大型バスに乗り込む。むわっと車内独特のにおいがする。
 指定された席に座ると背中のシートが硬かった。ひとたびそうおもうと、エンジンをかけ停車するバスのわずかな揺れですぐにきもちわるくなった。ひとりっきりの移動ははじめてだったからかもしれない。

 それでもバスは走り出した。

 カーテンで閉め切られた車内の電気が消える。いよいよ真っ暗になる世界で、わたしは目を閉じた。もちろんねむれない。それでも目を閉じた。2時間経ち、目覚める。もう2時間経ち、また目覚める。
 浮上する意識のなか、安定感のない足場にゆらゆらとこころが揺れた。ただ、1度も引き返そうとはおもわなかった。それ以上のなにかが待っているとおもっていた。実際、いまが幸せだった。

 “俺、期待していいかな?帰ってくるの待ってるよ。”

 ホテルの部屋で読んだメールに心臓を絞り出されるおもいがした。弱音なんて吐かなければよかった。自分のきもちはもうとっくに決まっていた。

 「これ以上いっしょにいると、わたしたちこのまま溺れちゃう。」

 自ら別れを切り出したのはこれが最初で最後だった。