未題

短編より短い短編小説

哀しみの落とし穴

 貼り出された番号はなかった。わざとコンビニを迂回して踏切を渡る。道すがら、この前の男が座り込み待っていたからだ。ちらり目が合えどふいと逸らされる。いまの彼には興味がないのだ。代わり、肩を落としすごすごと帰る彼女たちには陽気に声をかける。

 「お時間よろしいですか?先ほどお見かけして、なんて素敵な方だろうとおもい声をかけさせていただいたのですが。」

 月額2万円のために彼は働いている。夢や希望を抱えてはいった職人の世界で、職人にさえなれない彼は職人をめざす大義名分のもと、たくさんの受講者を集める。そのためにはハイエナのようにあらゆる会場へ顔を出す。

 「おねえさん、おねえさん。先ほどお見かけして、なんて素敵な方だろうとおもい声をかけさせていただいたのですが。」

 お疲れさまです、頭を下げた真意は伝わっていないだろう。どちらにしろいまの彼は受講者のことしか頭にないのだ。そのためには名刺も出すし、笑顔もつくる。目線は合わない。

 「LINE交換してもらってもいいですか?」

 いいですよ、と言うとありがとうございます、と礼儀正しくかえされた。もらったパンフレットをみると、“プロをめざすあなたへ”の触れ込みが目にはいる。わたしは無性に哀しくなった。

 「ぜひよろしくお願いします。うちはほんとうに意識高いひとたちが集まってますから。」
 「ありがとうございます。」

 それ以上なにも言えなかった。

 きっときらきらした夢を抱え上京した喧騒のなか、彼らは彼らの正義をさがしている。それでも何度も挫けて、傷ついて、自分にはそれがないんだと思い込んで、同じくなんにもないんだと思い込むひとを集めていく。
 その先がたとえ切り立った崖になっていても、すくなくとも2万円は嘘をつかない。2万円は2万円の価値をたしかにもっている。お金ってそういうものだ。現実を切り取れば、いまのわたしには2万円さえない。

 すくなからず惨めなきもちで電車に乗り込むと、すぐに先ほどの彼からLINEが届いた。

 「すいません、4月の舞台には出演できますでしょうか?」

 読んだけれど返信はしなかった。ただ彼の幸せを願った。