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未題

短編より短い短編小説

急転直下の浮上

 日常は突然幕を閉じた。あんまり突然だったので、わたしはぽかんと口を開けたまましばらく佇んでいた。まさかのんびりおひるごはんをたべているなか、電話一本でおわりを告げられることになるとはおもってもみなかったのだ。
 けれどひとまず、わたしは「わかった」と言った。そして、どうしたもんかと考えてみることにした。

 住む家がなくなってしまう。

 毎日毎日ねむりについた我が家がある日突然なくなってしまう。覚悟していたとはいえ、今年は大丈夫だろうと知らないうちに高を括っていたことがよくわかってしまった。ひとは追い詰められないとほんとうのところがみえなくなる、けったいな生き物かもしれない。

 「ぼくはどうせ大学の近くに住むから。」

 弟はそう言うとスマホで住宅情報のアプリをダウンロードしはじめた。わたしはたべかけのりんごを前に突然食欲が失せて、とりあえず大量のシナモンをふりかけて口に運ぶことに専念した。
 母は泣いていた。

 わたしは口に詰め込んだりんごの食感を味わいながら、この先におもいを巡らせる。まるでよくわからない。自分がこの家を出たとき、どこで生活をおくるかさえ見当がつかない。
 宛てがないのだ。わたしがいまここに住んでいるのは家族がいるという一点にのみ注がれていることに驚いた。家族がいなければわたしにはここにいる理由がなくなってしまう。

 「根無し草だねえ。」
 わたしは呟いた。

 自由を手に入れた喜びは特段感じられなかった。むしろ新たな所属先をみつけなければならない意識が先行した。というより、たださびしかった。生きる活力とは、他者により自分の存在を承認されなければこんなにも脆いのだと、そしてわたしはほんとうの孤独を愛せるほど強い人間ではなかったのだと、改めて気づかされた。

 「元気でやるんだよ。」
 それまで声にならない声で泣いていた母が言った。

 「なに言ってるの、遊びにいくよ。」
 弟は笑って言った。

 わたしは黙っていた。家族のなかでいちばんふわふわしているのは実はわたしだから、別れのことばひとつ告げることができなかった。

 「おねえちゃん、猟師になろっかなあ。」
 それでも沈んだ空気が嫌で、おどけながらばーん、と猟銃で鹿を撃つ真似をした。

 「ちょっと勘弁してよ。俺おねえちゃんのこと猟師だってともだちに紹介するの嫌だよ。」
 弟は呆れ顔で言った。

 「いいじゃん、猟師。」
 おかしくなってわたしは笑った。弟もつられて笑った。春のはじまる予感がした。