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未題

短編より短い短編小説

見送り電車

 電車のホームでベンチに座っていた。息が荒く、からだが震えている。動こうにも動けない。いつからか頑なに固まったそれに困惑しつつ、乗らなければならないジレンマを抱えていた。

 「まもなく1番線に電車が参ります。」

 アナウンスにびくりとする。息を深く吸い込みそして吐く。拳にぎゅっと力を入れ、電車がだんだんと速度を落としやがてゆるやかに停車する姿を凝視していた。

 「1番線、電車が発車します。」

 再び走り出した電車が地下鉄の闇に消えていくのを見送る。降りてきた乗客が列をつくりエスカレーターで地上にのぼっていく。わたしは動かない。騒がしい雑踏もしばらくすると沈黙を取り戻した。
 ふと、ランドセルを背負った少年が階段で降りてくるのをみた。その少年は黄色い線の内側に規則正しく立ち止まるとぴん、と硬直した。あとからスーツを着たサラリーマンがエスカレーターでちらほら降りてくると、少年のうしろに並ぶ。

 「まもなく1番線に電車が参ります。」

 少年の黒いランドセルが妙に映える。後続の気だるげなサラリーマンたちは各々スマートフォンをみたり、新聞を読んだりしている。すると少年は、やってきた電車とともにホームのなかへ飛び込んだ。
 一瞬、なにが起きたのかまったくわからなかった。電車は先ほどとおんなじ要領でゆるやかに停車した。サラリーマンたちがようやく顔をあげ、扉が開くと同時に乗車していく。

 「1番線、電車が発車します。」

 そして何事もなく電車は発車した。

 降りてきた乗客が列をつくりエスカレーターで地上にのぼっていく。わたしはおもわずベンチから立ち上がると、恐る恐る線路へと近づいた。身を乗り出し覗きみると、そこに少年はいない。

 「びっくりした?」

 突然話しかけられ反射的に振り返ると、綺麗なおねえさんが立っていた。たぶん27歳か8歳くらいだとおもう。艶やかな笑みを浮かべると彼女は言った。

 「あなたは電車に乗りたい?」

 わたしは無言で首を横に振った。

 「でもいつかは乗るつもりなのね。」

 今度は首を縦に振った。彼女は言った。

 「はやく乗らなくっちゃいけないとおもってる。」

 このおねえさんはエスパーかなにかだろうか。それさえ見透かしたよう、おねえさんは言った。

 「はやく乗ったからってはやく着くとは限らないよ。」

 よくわからないけれど、わたしはこくりと頷いた。

 「自分の乗りたいタイミングで乗りなさい。」

 そう言い残すとおねえさんはふわり、風のように消えた。

 「まもなく1番線に電車が参ります。」

 3回目のアナウンスがわたしのこころにざわざわと響いた。震えはとまっていた。