未題

短編より短い短編小説

掃きだめの心労

 「おもえば25年前から悲劇ははじまっていたのよ。」

 彼女は項垂れると手にした缶ビールをやや乱暴にぐいと傾けた。すでにテーブルの下には3本の空き缶が整列している。それらを眺め、ひとまず彼女のはなしに耳を傾けることにした。

 「彼は婚姻届さえいっしょに出しにいってはくれなかった。子育てに疲れてわたしが寝込んだときだって、ちっとも介抱してはくれなかった。」

 彼ってそういう人間なの、と彼女は言った。わたしは居酒屋の一角で彼女の上下にうねる語りをききながら、旦那ってそういうものじゃないかしら、と口に出した。

 「なんにもわかってない。」

 彼女は憤慨し、つづける。

 「あんた、今年で30でしょう。結婚していないんでしょう。まだ若いからそんなことが言えるのよ。」

 わたしは困った顔をする。若いから、経験していないから、そんなこと言われたらおしまいだ。会話がはじめからおわっている。

 「だいたい、彼は何事にも無頓着なのよ。22年前、山登りにいったときもそうだった。彼が誘うからって会社のひとたちといったの、こどもがまだ赤ん坊だったころにね。わたしったら彼に誘われたことが嬉しくって、ばかねえ。それで、どうなったとおもう?」

 さあ、とわたしは首を傾げる。

 「あのひと、こどもを抱えたわたしをみてもただの一度もきいてくれなかったの。俺があずかろうかって。だからわたしひとりでずーっと、こどもをおんぶしつづけたわ。登山中も、下山中も、ずーっとよ?」

 たしかにそれはたいへんだったね、と答えると食い気味にそうでしょう、と返された。

 「わたしもう我慢ならない。今後もあんな男といっしょに住んでいくのかとおもうと怒りが込み上げてくるわ!」
 「じゃあ、捨てればいいんじゃない。」

 先のみえない会話に堪えかねわたしが言うと、彼女は一瞬目を見開いた。そして躊躇いがちに「いいの?」ときいた。

 「だって、お互いがより良く生きるために結婚ってするものでしょう。結婚したからふたりでいなければならない、なんて本末転倒じゃない。」

 彼女は先ほどと打って変わり、ぱーっと笑顔になると「そうね!」と頷いた。

 「なんだかすっきりしたわ。きょうはありがとう。」

 暗がりの帰り道、ふたりで駅に向かい歩いた。彼女はうーんと伸びをすると上機嫌でこう言った。

 「やっぱりわたし、彼のことがだいすきみたい。」

 わたしはなんともいえない表情で笑った。風が頬にあたり冷たかった。