読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

未題

短編より短い短編小説

能面の沈痛

 差し出されたケーキボックスに珍しく母の表情が綻んだ。ちょうどいま甘いものをコンビニにでも買いにいこうかとおもっていたところなの。ねえ、と言われ、わたしは頷く。

 箱を開けると中身はシュークリームだった。108円のがみっつ。母は、このひとったら相変わらず気が利かないのね、とおどけつつシュークリームを口に運んだ。

 「なんだか皮がぱさぱさしてない?」
 「そう?おいしいよ。」

 わたしがこたえる。

 「ねえこれ、どこで買ってきたの?」
 「駅前のケーキ屋さんじゃないかな。」

 シュークリームのパッケージに描かれたロゴを指さし、わたしがこたえる。

 「なんで駅前のケーキ屋さんでわざわざ買ってきてくれたの?」
 「おかあさんが最近、元気なかったからだとおもうよ。」

 わたしがこたえると、母はねえ、ともう一度きいた。会社のひとたちに配るホワイトデーのおかえしを買うために寄ったんだよ。そのことばをきいた途端、母は食べかけのシュークリームをテーブルのうえに放り投げた。

 「あっそう。ついでだったわけね。」

 わたしはなんの助け船も出せなくなった。

 「所詮“ついで”。自分のルートになければ買いにもいかない。」

 母はますます口調を荒立てる。

 それってわるいことじゃないよ、とわたしは言えなかった。困った表情を浮かべ黙っているところ、重苦しい空気が流れる。

 「もういい。お風呂はいってくる。」

 そうして母はリビングを出ていってしまった。

 「なんだかたいへんみたいだね、最近。」

 母の背中が消えるのを確認してからわたしは言った。

 「ちょっと不安定な時期なんじゃないかな。自分自身の問題を抱えきれないから、怒ってまわりのひとに当たってしまったりするんだとおもう。自己防衛と他者批判がちょっぴり激しいし。」

 テレビの音だけがリビングに響いた。ふだんはあまり見ない野球中継が流れている。こっそりとなりをみると、特段いつもと変わりない表情だった。なあんだ、とおもう。心配して損した。

 わたしがスマホに目線を落とし囲碁アプリに興じていると、ぽつり、それまで黙っていた口がようやく開いた。

 「俺がいけないんだろうなあ。」

 ばっと振り返ると、やはりいつもと変わらない表情がそこにはあった。胸がぎゅっとなった。