読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

未題

短編より短い短編小説

かわり屏風

 酔った頭でうんうん唸れど会話のひとつも思い出せない。男の顔さえ思い出せない。もちろん名前なんて論外といえよう。相手の男が何人だったかさえ思い出せないのだ、もう重症だ。

 その場の勢いで盛りあがる素振りをみせた飲み会は宴もたけなわ、なんて手垢まみれの言いまわしで締めくくられ、ろくにきもちよくない酔いのまわりは足どりだけを覚束なくさせた。
 ぞろぞろとみんなで歩きながらこれまた栓ないはなしをして、駅前まで来たところで男のなかのひとりが足をとめた。そこには、シルクハットを被ったおじさんが立っていた。

 なにやらおじさんは微動だにせず固まっていて、みると胸のところに「握手してみてね」という紙が貼ってある。それをじっと覗きこんだ男に、わたしはとても嫌な予感がした。

 「触ってみよっ」
 そして呆気なくそれは的中した。

 男はなんとも間抜けで気楽な声を発したのち、躊躇なくおじさんの手を握った。きっかけに、ぎー、ぎー、とおじさんがロボットみたいに動き出す。はじまってしまった。
 まわりの男たちがおお、と呑気に見物しはじめるなか、わたしはただひとつのことを考えていた。たったいましょうもないことに三千円もつかってしまった、財布はもうすっからかんだ。

 おじさんはロボットダンスのあと、ふたつみっつと手品を披露していく。男たちは盛りあがる、わたしは冷や汗をかく。それでもおじさんのオンステージはつづいていく。
 そしてひとしきりのパフォーマンスがおわると、例の時間がやってきた。

 おじさんは「わたくししがない大道芸人ですが」と言うと被ったハットをひっくりかえし、「おきもちいただけると幸いです」と控えめにそれを差し出した。
 わたしはひとり心臓をばくばくさせながら、お財布から百円玉だけ取り出すと「とってもよかったです!」と目いっぱいの笑顔で言った。おじさんがにっこり笑う。
 途端、わたしのこころがぱたぱたと音を立てひっくりかえった。主客転倒した事実に気がつき、動転する。

 ふと不安になりあたりを見渡すと、いつの間にか男たちが消えていた。しばらくきょろきょろさがしていると、遠くの改札で手を振っているのがみえた。慌てて合流すると男のなかのひとりが言った。
 「ああいうのに金を出すなんて、君ってよっぽど物好きなんだね。」

 主客が一気に入れ替わり、わたしのこころは再びぱたぱたと音を立てひっくりかえった。無性に腹が立った。その後男たちとの連絡は途絶えた。