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未題

短編より短い短編小説

うーん、えいっ

 ひとはねむりながら記憶を定着させる。外界から得た刺激をからだの内側に染み込ませる。わたしはちっともねむれやしない。右にごろん、左にごろん、それでもやっぱりねむれない。
 真っ暗な部屋に月明りだけが差し込んだ。となりでねむる彼はすやすやと寝息をたてている。その横顔になんだかうっとりして、彼の手にそっと、自分の手を重ねてみた。

 ばしっ、手はすぐに払いのけられた。せっかくのあたたかいきもちを無下にされた気がして、しょんぼりする。そして理不尽に怒る。なんだいなんだい、本能でわたしを拒絶しやがって。いいもんいいもん、わたしひとりでねむれるもん。
 再び横顔を眺めると、彼はやっぱりすやすやと寝息をたてている。ふと、今度はその鼻をつまみたい衝動に駆られた、だけでなく、唇にかぶりついてやりたくなった。彼を生かしている酸素の供給を断って、そのまま呑み込んでしまいたくなった。

 そんなこと、やらないけど。

 ねむれない夜に思い起こされる数々の記憶が傷口にじんじんと染みた。我慢できそうにない痛みは、その情景を絵の具で黒く塗りたくってしまう。辿っても辿ってもそれ以上立ち入れないよう全貌を隠してしまう。
 あんまり居心地がわるいのでばっと勢いよく布団を剥ぐと立ち上がり、わたしはそのままリビングへ向かった。ソファーに座り、テレビを点けた。深夜バラエティ独特の乾いた笑いが落ちる。わたしはすぐにテレビを消した。

 暗くなった室内にしんとした空気が漂う。

 ようやくソファーの背にもたれかかると、しばらくはぼけーっと天井を仰いだ。目にみえる景色がだんだん天井に同化していく。まるでこの世に境界なんてないみたいにじわじわ世界が浸食していく。そして、はたと気づいた。
 もしかしたら数年前もそうだったかもしれない。やっていることは以前とたいして変わりないのかもしれない。けれど、あのときといまとは明らかにべつものなんだ。時間は確実にすすんでいるんだ。
 そこまで思い至ると、わたしは満足したのか再び布団へと潜りこんだ。

 目を開けると朝だった。彼がおはよう、と笑った。

 わたしは迷わず彼の首に飛びつくと、そのままぎゅうっと力いっぱい抱きしめた。いたいいたい、と言いながら彼は払いのけなかった。わたしはばかやろう!と言いながら、さらにきつくきつく抱きしめた。