未題

短編より短い短編小説

長靴ダッシュ

 寝間着のごとくよれた黒のスウェットパンツに、ミズノのウィンドブレーカーを重ね履きした。うえはヒートテック、Tシャツさらにパーカーを羽織り、チェックのコートまで着こむ。準備万端、とおもい時計をみると予定より20分もはやく支度を済ませてしまったようだ。
 瞬間、わたしは後悔した。あの囁きがきこえてきたのだ。

 ――いったい、なんのために?

 意味とか意図とか考えすぎちゃったんだ、とおもう。わざわざ選ばなくってよいところで葛藤するから、目の前の行動にさえ拍車をかけるようになった。流れるように生きたほうが案外“うまく”すすんでゆくのかもしれない。
 そう言い聞かせて、こころのなかの声にぎゅうぎゅうふたをするよう外に出た。まだ寒い。三寒四温って言ってたのはだれだっけ。

 ぶるるとからだを震わせ歩きながら、また込み上げてくるきもちわるさをしらないしらないと押し込んだ。

 電車には乗りたくない。けれど乗らなければならない。まだそう言っていた。

 まわりの世界と自分を唯一遮断するためイヤホンを耳に突っ込み、なるべく明るい曲をきく。スマホを取り出し、ツイッターに書き込む。

 「音楽きいてもたのしくない」

 たった7分の乗車時間だった。3駅しかない。けれどわたしのこころはその間にぽきりと音を立て折れた。
 ポケットに手を突っ込み、からからするアップテンポの曲をききながらエスカレーターに乗る、8番出口はすぐそこだ。

 そして、目的地もすぐそこだ。

 工事現場とおもわれる柵の前にはあのひとがいた、覚えていた。それでも「おはようございます」は言わなかった。そのままずんずんと直進し、ほか2,3人を無視し、階段をのぼる。
 ドアを開けるとすでに8人ほどの女性が待機し、「おはようございます」と言われる。「ざいます」と小声で挨拶しながら部屋の奥へ突っ切り、棚のいちばん下に置かれた土嚢袋をひっつかんで踵をかえすとあとはもうそのまま部屋を出た。
 階段をおりた、まだあのひとはいた。俯き、ずんずんとすすんだ、途中、数日前なにかと世話を焼いてくれたおばさんともすれちがった、それも無視した。ずんずん、ずんずん。

 おおきい交差点の角を右折したところでようやく、ふうとひとつため息を吐いた。そしてちょっぴりこころが軽くなっていることに気がついた。やっぱり原因はこれだったんだ。

 「わたしったら怪盗みたい」

 一連の出来事を思い出すと、たまらずくくくと笑いがこぼれた。見上げると真っ青な空が広がっていた。わたしはまた歩き出した。帰りは電車に乗らなかった。