未題

短編より短い短編小説

沈黙の限度

 壊れたカセットプレイヤーが突然奇怪な音をからからまわすみたいにしゃべりはじめた。

 旦那は自分で選択したんだ、自分の人生を、矢面に立たず、目立たず、流され、しんどいおもいをしたくないとあえて出世もせず、思考をとめ、わたしが教祖として、ひとつの宗教のごとく、なんでもわからないで済ませ、それを!
 この32年間冴えない旦那の妻としてやってきた、そんなふうにまわるまわる落語のごとく、無関心の、わたしの、そういう猜疑心がみえ隠れする。

 弾けたように滑り落ちることばの数々にはこれまで仲睦まじい夫婦の側面のみ切り取ろうとした綻びか、塞きとめていた感情がどどどと押し寄せ荒れ狂う土石流のようにみえた。

 テープは擦り切れているのか、ところどころ音がとんだり、突然きーんと甲高い声を発したりする。わたしはそれをただ黙ってきいていた。

 旦那は責任から逃れたいだけだ、他者の人生の選択に介在することが面倒だから、知らんぷりを決め込んでいる。旦那だけじゃない、いいか、流れてるんだよ、血が。どうせ同じ穴の貉なんだろう。

 わたしはやはり黙っていた。抑えきれない情動があるなら、吐き出したほうがいい。

 だいたいなんだ、ひとりで生きているみたいな面しやがって。いいか、おまえだけの問題じゃないんだ、この前言ったことをもう忘れたのか。

 わたしは黙っていた。意識が遠のいていく、感情は切り離されていく。心臓だけがばかみたいに早鐘を打つ。それでも黙っていた。

 ただでさえ社会でなんの役にも立っていない。おまえがどう生きようと関係ない。

 黙っていた。

 「けどな、人様にだけは迷惑をかけてくれるな。」

 瞬間、わたしはふらり立ち上がると部屋を出てリビングへ向かった。ソファーに座る弟に脇目もふらず、台所に置かれた金槌を手に取りそのまま戻ってくると、いまだキーキーがなるプレイヤーの前で思い切り右手を振りかぶった。

 ――ぷつん。

 しばらくすると音はやんだ。投げ出された金槌が鈍く光った。わたしはカセットプレイヤーの停止ボタンを押したままぼろぼろ涙を流していた。

 ひとは哀しみを背負いきれない。みんなで分け合っていかなくては生きてさえいけない。そういうことがわかっても、ひとつのからだで受けとめるにはどうしても限界がある。抱えきれない思想とか、邪険にされた理不尽とか、相手の隙間にそっと寄り添えない空しさとか。

 沈黙の訪れたプレイヤーの前で蹲っていると、とんとんとノックする音がきこえた。ぐしゃぐしゃの顔をあげるとそこには弟が立っていた。そしてそのまま部屋にはいってくると、わたしの頭をぽんぽんと撫でた。